むかしの川崎の海
川崎の海にまつわるむかし話
川崎の沿岸部は、多摩川から土砂が運ばれ、埋め立てが始まるまでは、沖まで浅い遠浅の海でした。明治時代(1868~1912年)の中ごろまでに、池上、田辺、小島、夜光などの地域が田畑として開発されました。海辺では、漁業や塩づくり、のりづくりが行われていました。
むかしは砂浜が広がっていたんだね。
それがどうやって大きな船が来る港や工場に
なったんだろう?
もっとむかしのお話
今から約890 年前(平安時代)、川崎の海で魚を採りながら貧しい暮らしをしていた平間兼乗という武士だった人が、夢の中でお坊さんの声を聞き、海の光り輝く場所に網を投げ入れ引きあげてみると、弘法大師の像が入っていたそうです。その像をまつって建てられたのが今の川崎大師と言われています。
像が引きあげられた海の周辺は夜光島と呼ばれるようになって、現在の地名の夜光になったそうです。
川崎港の埋め立て100年のれきし
川崎の海が今のすがたになるのに大きな働きをした人がいます。浅野総一郎といって近代の日本の発展をになった海運・鉱山・造船・鉄鋼・電力などでかつやくした人です。その浅野総一郎が1896 年、外国へ行って見た港に大きなしょうげきを受け、東京湾を港として整備することを決意しました。横浜~川崎~東京の埋め立てや運河などの計画をたて、事業をはじめました。
川崎港の埋め立て状況
浅野総一郎が埋め立てを始めてから、どうやって今の川崎港になったのかな?ボタンを押してどのように広がったか確認してみよう!
1913年から1928年は浅野総一郎が、その後は、企業や県、市が埋め立てを進めてきたよ。
- 1913~1928年の埋め立て
- 1935~1943年の埋め立て
- 1953~1963年の埋め立て
- 1971~1983年の埋め立て
- 1972~1996年の埋め立て
- 1995年~の埋め立て
東扇島が埋め立てられるようす
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1983(昭和58)年ごろ
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1988(昭和63)年ごろ
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1990(平成2)年
だんだん埋め立てがすすんで、地面が増えているね!
新しい埋め立て・東扇島堀込部土地造成事業
東扇島の新しい埋立予定地だよ。
この海の部分の埋め立てを進めていて、
新しい陸地が出来ると、さらに港の機能が強化されるね。
ちなみに埋め立てに使っているのは、リニア中央新幹線でトンネルを掘ったときに出る土だよ。
これからもみんなの暮らしを支え、発展し続ける川崎港
将来に向けた取り組み
たくさんの工場や、発電所、物流施設があって、たくさんの人たちが働いている川崎港。
これからもみんなの暮らしを支え続けていくための将来に向けた取り組みを紹介します。
EVタンカー給電施設
写真の赤い船はEVタンカーだよ。
船は重油という燃料で動く船が
ほとんどだけど、これは電気で
動く船なんだ。このEVタンカーに
電気を充電(給電)する施設が、
川崎港にはあるんだよ。
自動車も
電気自動車があるけど、
船も脱炭素に取り組んで
いるんだね。
新しい橋・東扇島水江町線
東扇島と水江町を新しく結ぶ橋で
全長約3㎞、車も人も通れる予定
だよ。新しく橋ができると
交通が便利になるし、災害の時の
避難手段が増えて安心だね。
歩いて渡れるなら、
橋の上からたくさん船が
見られるかも!
新しいエネルギー・水素
新しいエネルギーとして、水素が
今注目されているよ。燃やしても
水しかでないクリーンなエネルギーなんだ。
これから水素の利用が増えていく
と、船で海外から水素を大量に
輸入することにもなるだろうね。
へえー!すごい!
ますます港の役割が
大切になっていくね。